担降り問題と私の生き様について

 

 

世のジャニヲタのみんな〜!担降りしてるか〜〜〜!?(血涙)私は降りれてないぞ〜〜〜〜〜!!!!!れ!!!!

 

 

ブログ開設して早々何を言っているんだお前はみたいに思うよね。私ならそう思う。

なんとなくジャニヲタさんたちのはてブロに触れたら私も気持ちの整理(になるかはわからないけど)になればいいなって思って軽い気持ちで作っちゃいました。お時間がある方はお付き合い頂けたら幸いです。周りがみんな担降りなどして二次元に夢中になってしまったせいでジャニヲタの友達少ないので気軽に仲良くしてくれたらなーって思います。

 

 

 

 

冒頭(?)に書いた通り私は今生きてきて一番担降りに悩まされている。

担降り経歴は2回ほど。亀梨くんから玉森くんに、玉森くんから横尾さんに降りたとき。それが2009年、8年弱前の話。まぁゆっくりと私のジャニヲタ経歴を遡りつつ書いていこうと思う。

 

 

私がジャニヲタになったきっかけは亀梨和也くんだ。2005年、1月。当時私はまだ小学一年生だったのではないだろうか?ちょっと曖昧。1月だから合ってるとは思うが。そう、ごくせん2が放送開始された。さすがにもうその時何を感じたのかは1ミリも覚えていないけど、私は亀梨くんのファンになった。本当に記憶が無いもので、もうずっと亀梨くんが好きだった、気付いたらといっても間違いではなかった。若いながらに盲目で、亀梨くん以外のメンバーにも、他のグループにも興味を示さず、といった感じであった。時が経つにつれて他にグループがあることも、メンバーのことも徐々に知っていったんだと思う。とはいえKAT-TUN一筋だった。KAT-TUNは私にとって特別だったし、それは今も変わらない。

 

 

とにかく亀梨くんが好きだった。小学一年生の純粋な好意は六年生に進級してもなお廃れてはいなかった。私が小6になったのが2009年。

記述していなかったが、母も同時に亀梨くんのファンであった。そんな母がコンサートのチケットを手に入れてくれた。そんな5月。そう、「KAT-TUN LIVE Break the Records」だ。伝説と言っても過言ではない東京ドームでの8日連続公演+2公演。今となっても私にとってとても大切な思い出のコンサートで、これを超えるコンサートなんてきっとこの先出てこないくらい本当に本当に素晴らしいコンサートだった。このコンサートに行かなかったら今の私はなかったんだ。当時、コンサートといえばDVDで「KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES」を見たくらいだった私はまだコンサートってなんぞやレベルで、『初めて亀梨くんを生で見ることが出来る!』なんて喜んだ覚えがある。

 

実はコンサートの前にごくせん卒業スペシャル'09が放送されていた。勿論見た。だって大好きな亀梨くんが出ていたから。なんでもないエピソードに感じるかもしれないけど、これがまた私にとっては大きな出来事なんだ。

スペシャルに出ていた“高杉怜太”がかっこよかった』

この感情が人生の機転になった。

 

とまぁ、結論から言うと3公演入った。8日連続公演の時に1公演、+2公演の時にどちらも入った。行ったこともないコンサートで耳が死んだことをよく覚えてる。それに席も気にせずただ楽しんでいた。ずっと好きだったアイドルが席から遠いとはいえ、生で同じ空間にいられることが若いながらに幸せで感動した。1582の亀梨くんがとても色っぽくて、かっこよくて、とにかく亀梨くんだけ見てた。それが1公演目。後ろで誰が踊ってるだとか、全く興味なくて見てもなかった。今思えばこんなに盲目だったのってその時が最後なのかもしれない(絶望)亀梨くんが出ていない時は座ってお菓子を食べていたと母に聞いた。ふざけてる。その時間に戻りたいくらいだというのに過去の私ときたら。そう、後に私はKis-My-Ft2A.B.C-Zに興味を持つことになる。

 

3公演目のときにローラースケートで滑ってる玉森くんを見ていたような記憶が薄ら私の中に残ってる。多分“高杉怜太”役の人が出てる、と母から聞いたりとかしたんだろうね。

 

その後は東京国際フォーラムで開催された「フォーラム新記録!!ジャニーズJr.1日4公演やるぞ!コンサート」に行った。母はもうその時Jrに堕ちてたんじゃないかな。私は亀梨くんがゲストで来ればいいなくらいの気持ちで参戦した。1,2部に入ったんだけど、亀梨くんが来たのはその後で酷く落胆したのははっきり覚えてる。後に出演していたQuestion?含む他Jr.に興味を持つことになる。KAT-TUNのコンサートで後ろで踊ってたA.B.C-Zがいたんだよ、なんて母から聞いた。余談だが、母はこのあと藤ヶ谷、橋本を好きになるのだが当時橋本のことを「スカして気取ってる奴がいた」なんて言ってました。勿論まだ橋本くんは20歳にもなっていないのだが、大人びていたため母の変なところに触れたのだろう。今となっては好きな人のことボロクソ言ってた母は面白い。

 

その後私は亀梨くんから玉森くんに担降りすることになる。

いつから、何日から、と詳しい日時は覚えていないけど気付けば私はKis-My-Ft2A.B.C-Zにどっぷりハマっていた。長い間好きだった亀梨くんを降りることになるくらい。高杉怜太の存在が大きかったわけだ。

勿論降りてからもKAT-TUN自体は好きだったし変わらず応援していたし、今も復帰を心待ちにしている。1年前に開催した休止前コンサートには私はニコニコ超会議に行っていたので参戦しなかったのだが(2012年のCHAINまでは1公演は参戦していた)今となっては酷く後悔している。だから仁、聖、じゅんのと脱退したときはその都度目を腫らすほど泣いていた。私にとって6人のKAT-TUNは本当に特別なものだったから。それが崩れていくのに耐えられなかった。でも個人個人で活躍している姿が見られるのは救いだと思ってる。道が違っても昔KAT-TUNは6人だったことを誰かしらが覚えていてくれたら嬉しいなって思ってるし、周りが忘れても私は絶対忘れたりしない。いつか彼らがもっと大人になった時、また集まったりして、思い出してお酒でも飲んでてくれたら幸せだなって思います。私を幸せにしてくれた彼らがちゃんと幸せになってくれたら嬉しいです。

降りてからは少クラの存在を知ることになり、色んなJr.を目にすることとなる。勿論興味あるJr.はそこから山ほど出てくるし、そのJr.たちを今も見続けている。見ている間にKis-My-Ft2A.B.C-Zがほぼ同期で、仲も良くて、一緒に活動することがあることも知った。私はどちらのグループも大好きになった。

長く見ている間に気持ちは変わり、私はKis-My-Ft2単独でのコンサートを横浜アリーナで行う前日に横尾さんに担降りをする。降りた次の日に入った公演で、横尾さんが不器用な私が作った小さな団扇(当時家にあった普通の団扇で作成したもの)を見つけて、それはもう大きく大きく手を振ってくれたのだ。今でもその光景をはっきり覚えている。

 

そこからはもう変わらない。Jr.だったKis-My-Ft2も、A.B.C-Zも、デビューを果たしたが、変わることなく彼らを応援し続けた。正直デビューするときは失礼ながら嫌だななんて思ってた。ファンとして有るまじき感情だが、強くそう思った。

 

私よりも前にキスマイを好きだったファンはごくせん出のファンが嫌いな人が多くて、酷く肩身が狭い思いもしたが今となってはそのファンの方々の気持ちも痛いほどわかる。

 

えびきすに堕ちた小6の私はまだ青いのでクラスでもよくえびきすの話をしたものだが勿論賛同者はいなく、知っている人すら少なかった。知っている人もいたが「ブサイクじゃん」などとよく貶されたものだ。

それが中学になって、キスマイがデビューして露出され始めて。そうしたら身の回りにキスマイのファンが増えて、その中には過去にキスマイを貶していた同級生もいたのだ。素直に吐き気がしたね。嫌悪感でいっぱいだった。私が好きになった頃はブサイクとか言ってたのに今じゃかっこいいってか?ふざけるなってね。彼らの何を知って好きと言ってるんだ。勿論仲良くなんて出来なかったし、彼女達がキスマイの名前を口にするだけでしんどかった。TwitterのbioにKis-My-Ft2って書いてあることがこんなにも嫌なことってなかった。とにかくデビュー後についたファンが嫌いで仕方なかった。ごくせん前からのファンはこんな気持ちだったのかなって感じた。飯田くんがいた時代からのファンもいただろうし。私は飯田くんの存在を知れたけど今のファンでどれだけの人が知ってるんだろうななんて考えます。

今も薄らと嫌悪感は残るものの、まだマシになったと思いたい。結局のところファンはファンなのだから受け入れるしかないのだ。

一つ受け入れられないのは同担。別にりあこじゃないんだけど、私が構われなかった公演で構われたとか聞いても妬みしか生まれないから嫌い。横尾さんと橋本くん担当してる人とは仲良く出来ない…。

 

とまぁ、私は今も両方のグループを追いかけている。ここまでが経歴。8年間も素敵なグループを追い掛けてこれて幸せです。

 

 

だが問題はここからである。

 

 

先日、さいたまスーパーアリーナでジャニーズJr.祭りが開催された。

 

今年に入って母が東京B少年の佐藤龍我くんにどハマりした。仕事から帰宅するなり少クラをつけ、BE COOLを含めた龍我くんが映っている曲を何時間も見続けるくらいには見ている。

私はといえば自分より年下のJr.は愛でる対象ではあるが担当には到底ならないだろうといったところである。お兄ちゃんたちが好きです。

 

中でも祭り前までに熱があったのが長妻怜央くんと森田美勇人くん。

 

長妻くんはたまたまついてたごじくじに出ていたのを見て調べてからハマってた。ド新規だけど自担じゃないので許して欲しい。お兄ちゃんとか言ってるけど彼は一つ下です。年上だと思ってました最初は。

えびのバックについてたんだよね。サマパラもだし、去年のSLTはLove-tuneとしてついてた。去年たまたま運が強くて年内にアリーナに3回座ったのだが、SLTでもアリーナだったのだ。花道から少しズレたとこだったかな。ここじゃファンサ貰えないなーって考えてちょっとやる気なくしてたけどまぁ近いので楽しむことに決めていた日だった。

私は元々近くにいる他メンやJr.よりも遠くにいる自担派なのですが、アリーナだとどうも遠くが見えないんだよね。それで諦めて近く通る他メンやJr.をぼーっと見ながら力なく胸の位置(大事)で『ハートつくって』団扇を握っていた。

8月に入る前に仕事を辞めていた私は前からしたかった“髪色ピンク”にしてたんだけど、あれジャニヲタの中だと異端すぎるんだよね。クソ目立ってた。

すると髪色効果からか、目の前に五関団扇を持っているファンがいるというのに五関様から歩きながら片手でハートを作っていただいた。自担ではないとはいえファンサ貰うと沸くのよね…ミーハーなんだなきっと。

それだけで満足して普通にコンサートを楽しんでいるところに再び奇跡が起こる。

長妻くんだ。興味津々だった私はじーっと走っていく長妻くんを見詰めてた。後ろに長妻担がいたから勿論しゃしゃることはしなかった。ジャニヲタは怖いからね。私も目の前で自担が他担構ってたらキレるもん。

 

一度通り過ぎた長妻くんが少し戻ってくる。…と、

 

私に向かって笑顔でハートを作って再び走り出した。

 

私はもう放心状態。あれが天使かなんて思うと同時に刺されなくてよかったなんて考えてた。

それがきっかけで降りることはなくとも少クラで引き続き長妻くん天使〜なんて言い続けてる。

 

次は森田美勇人くん。

 

美勇人くんに興味を持ったきっかけはキスマイがデビューしてすぐ行った「Kis-My-Ft2 Debut Tour 2011 Everybody Go」。横アリは全公演入ったと思う。

どの公演だったかは覚えてないけど、大好きな横浜アリーナ(デビュー前からの思い出が強すぎて好きなんです。懐古厨…)だけど立見席だった。足が疲れやすい私は座れないのか、しんどいななんて思ってたけど入ってみたらそんな気持ちは消え去った。

 

関係者席の真後ろだったから。

 

知ってるJr.来たらいいなくらいに思ってた。その時はまだ美勇人くんのこと知らなかった。

夏の公演だったため会場内は蒸し暑い。お節介な私と母は迷惑な話だが目の前に座っていたJr.を持っていた団扇で扇いだ。今となっては出来ない。恥ずかしい。そんなことより迷惑すぎるだろ!母も何やってんだ!

何度も振り返りペコペコ頭を下げるJr.くん。

そのJr.くんこそが森田美勇人くんだったのだ。

(もう一人と来てたけど未だに誰だか判明してません。誰だったのかな…)

 

そして終演前に立ち上がり退場しようとする関係者の方々。

私はつい「お疲れ様でした」なんて声をかけました。知らないJr.に。有り得ん…。

本当引くくらい有り得ない私に彼はお辞儀してから退場していった。

なんて紳士なんだろう…。ゴッド…。

その時バナナのモチーフの服を着ていたので名前がわかるまではバナナくんって呼んでました(クソ)。

 

それからは少クラとかで緩く推してた。ゆるーく。

 

 

話は戻るが、Jr.祭り追加公演が私の頭を悩ませることになる。

 

母が龍我くんを見たいがために追加公演のチケットを全公演分手に入れてくれた。母の付き添い程度の気持ちで付いていくことを表面上の理由としながらも内心はウキウキである。現場大好きだからね。コンサート最高!!!せっかくなら私もちゃんとJr.オタクになりきろうと、得意でもない団扇をいそいそと作り始める。

勿論『怜央』『森田』を作成。母の団扇も作らされたため『龍我』『浮所』も作った(龍我くんにかなり寄ってるが浮所くんも好きらしい)。

 

その団扇がこれ。

 

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…。

 

酷い。不器用さが滲み出ている。

団扇作りには慣れていないのだ。

いつも使い回しだから…。

 

まず文字は小さいし、フチのとり方もド下手。

そしてなによりポ〇ポ〇プ〇ンのモチーフ団扇…。

これ、本来は禁止なんですよね?多分。

色合いが可愛くて作っちゃったけど。

ダメかもしれないけど、配色は好き。

 

 

で、初日。

 

1部はほぼ天井席だった。団扇を出すこともなく、ひたすらに双眼鏡で好きな人を追った。

 

森田美勇人くんである。

 

それはもう素晴らしかった。かっこよすぎる、この一言に尽きる。踊ってる時も歌ってる時ベース弾いてる時も素敵すぎた。手足が長くて全体がスラッとしてて。so Crazyの美勇人くんなんかもうりあこレベルで好きだった。心臓高鳴りっぱなしだった。Love-tuneとしての美勇人くんも、Travis Japanとしての美勇人くんも、単体の美勇人くんも、全部がしんどかった(語彙)。

 

やっぱり現場って2人も追えないんだよ。好きな歴が短い長妻くんより、本能的に美勇人くんを目で追ってた。因みに怜央団扇は1度も使用していない。

 

 

そして2部。チケットを引き換えた瞬間「19列かぁ」って思った。チケットには200レベル19列と書かれていて、1部に比べれば近いしな、と自分に言い聞かせた。

 

が、いざ入場して席に行ってみると。

 

は?待って。潰されてるから9列目?

近すぎないか?死ぬんじゃないかこれ。

 

じゅにあが踊ってるのを後ろから見る形だが、凄く近かった。所謂バクステっていうのかな?あんまりわからないけど、母はBE COOLが間近で見れると大喜び。私はといえば1部で舐めるように見ていた美勇人くんがわりと多い回数すぐそこのステージにくるぞ、とニコニコしていた。団扇が無駄にならなくて良かったと思った。

開演して、美勇人くんが出ている間はずっと団扇を持ってた。遠くにいる時は双眼鏡片手に。近くに来ても激しくアピールしたりはしなかった。余談だが目の前の席の人がマナー悪くて団扇上にあげたりとかしてて、そうでなくても埋もれてると思った。あっちから団扇見えないだろうなって半ば諦めながら大人しく団扇を持っていた。

 

問題はこのあとである。

 

アンコールでkeep onを歌うじゅにあたち。

1部を記憶の中で振り返ると、美勇人くんは丁度こっち側からぐるりと外周を回り始めるはず。記憶は正しく、バクステ側で200レベルの客席を見ながら歩いていく。指で自分の団扇を探しながら歩く彼に見惚れていた。かっこよすぎる、好き…なんて語彙力のない言葉を頭の中で反芻しながら。

 

すると、突如立ち止まってバッと指差しする美勇人くん。

 

一瞬時が止まったように思えた。ファンサってのは思い込みが大事で、近くに同担がいた場合誰にしたかわからないから自分にしたと思い込むことにしている私は今回も思い込み激しく自分にだといいななんて思いながら喜んでぴょんぴょんその場で跳ねた。

 

私の反応を見て美勇人くんが跳ねた。

 

さっきの指差しが私へのものだったと確証に変わった。そのあと手を振って外周に消えていった。泣いた。2日目は腫れた目と浮腫んだ顔で参戦した。

 

何より埋もれているにも関わらず探し出してくれたことが嬉しかった。ありがとう美勇人くん。忘れません。

 

このファンサの一瞬を鮮明に覚えてて、祭りが全公演終わってから今もずっとその思い出に引きこもっている。

 

2日目は1部500レベル、2部200レベル8列目(前日と真逆の正面側)だった。

2部でアンコールのときこっち側までくる!なんて期待したもののどこかでゆっくりしてたのかダッシュで目の前を通り過ぎた彼は何枚も団扇を持ってきているDDにファンサをして帰っていった。虚しすぎて泣いた。あとアンコールでCan do!Can go!聞けて泣いた。好きすぎるんだあの曲。終演後も暫く涙止まらなかった。次の日また顔は浮腫んで目は腫れた。学習していない。

 

 

 

もう一度冒頭を思い出して欲しいのだが、私は今担降りについて激しく悩んでいる。

 

さすがにもう察しはつくだろうが、森田美勇人くんである。

 

祭りが終わってからカメラロールには美勇人くんの画像が増え、美勇人くんが歌ってる少クラを毎日何度も何度も見返し(バイトの日も)、ずっと美勇人くん美勇人くんって言っている。

彼に心を奪われすぎている。

 

現状、横尾と橋本の掛け持ちをしているわけだが、さすがに3人、美勇人くんは2グループ所属してるから4グループは追い切れないわけで。

こうして私は担降りを意識することとなる。

 

少し前に横尾さんがすっぱ抜かれた話はご存知だろう。彼女とのツーショットが出回った話。

何度も言うようだが私は決してりあこではない。だから自担に彼女がいようと、別に何とも思わない。何ともとは言いきれないか。私は厚かましくも一ファンとして、横尾さんには幸せになってもらいたいと思っている。だから誰かと付き合っていたって構わない。でも、それが世間にバレるのは違うでしょう。仮にも貴方はアイドルなんだから。あと悲しかったのはマナーやモラルに厳しい彼が匂わせなんかをする彼女を持っていること。その人といて貴方は将来的幸せになれるの?って思った。せめてバレないように付き合って欲しかった。

 

 

 

別にそれだけが原因で担降り考えている訳では無い。彼はアイドルをしているはずなのに手を抜いていると思う。コンサートで見ても、歌もダンスもおざなり。客席なんて微塵も見てくれない。頑張って作った団扇も水の泡。ファンサちゃんとしてる?私は最後に君から貰ったファンサ、デビュー前だ。悲しいね。

 

 

横尾さんに対する興味は、当初よりかなりなくなってきている。嫌いになったとかではない、決して。でも出てる番組全部録画したりしなくなったり、レギュラーも撮りっぱなし、とか。接点は毎年あるコンサートのみ。私は彼の接触イベントすら行けてない。

 

でもいざ美勇人くんに担降りするか?って考えた時。

 

 

8年間の私の思いと、時間と、お金はどうなってしまうの?

好きになったのは勿論私の勝手だよ。

長い間の好きと、愛着と、執着が簡単に「降りる!」って言わせてくれない。

だって彼のことを嫌いになったわけじゃないから。

横尾さんって存在は私にとって大きすぎる。

 

 

興味は目に見えて美勇人くんに傾いているくせ、担降り出来ないでいる話でした。

 

最初から暗い記事で、最後まで読んでくださった方は申し訳ないです、ありがとうございます。

 

何はどうあれ、私に幸せをくれるジャニーズって凄いなって思います。みんなデビューして欲しい気持ちしかない。だって頑張ってるんだもん。彼ら全員の夢が叶えばいいと思うし、彼ら全員が幸せになって欲しいなって思います。担当という形でなくても私は応援しています。

何様って感じだけど、本当にいつもありがとうございます。出会えて幸せです。

 

 

それにしても担降り問題はデリケートだなぁ。考える度に泣いてます。泣くくらい悩んでも結論が出ません。担降りで悩んでる人、山ほどいるんだろうなぁ。

 

 

こんな記事書いてるけど普段は普通に楽しくジャニヲタしてるんでお付き合い頂けたらなって思います!きっと今日も美勇人くんに沸くことでしょう。

 

それでは、以上!終わります!!